|
日本人会アーカイブ |
|
特別企画 サトウ
サンペイ 先生 座談会 2003年8月24日 Darwin
College |
|
サトウサンペイ先生は、このたび、Pembroke Collegeの図書館にご著書を寄付され、カレッジのゲストとしてケンブリッジを訪問されていました。大変タイトなスケジュールにも関わらず、日本人会のために時間をとって頂きました。座談会は、廣田 稔 先生(福岡女学院大学教授・九州大学名誉教授)の司会で始まり、Pembroke Collegeにご著書を寄付された経緯などのご紹介がありました。
以 下は、質疑応答の抜粋です。 ─「フジ三太郎は、先生に似ているように見えますが、モデルは?」「ヤッター、とか、チクショウ、とか、表情をつけるのは自
分のものが元になるので、自然と自分に似てきます。ですから、モデルは私自身と言っていいでしょう」 ─「どうして次々にすばらしいアイデアが浮かぶので すか?」「物事をよく観察すれば、ヒントが生まれ、そのヒントを基に、より具体的なアイデアが生まれます。時には、複数の原稿を抱えて、明け方の締め切り
ぎりぎりまでアイデアが浮かばないこともありますが、そういう時に一つのアイデアが浮かぶと、芋蔓式に次々と浮かんでくることがあります。どのようなアイ デアも普段の観察したことが基になっているので、まずは注意深く観察することが重要です。」 ─「アイデアを実際の漫画にするテクニックはどのようなもの
ですか?」「会社員時代に、パーティーか何かの席で、会場の端にいた役員が、反対側の端の社長をめざとく見つけて、ツツツーと走っていってタバコに火をつ けたのを見て、大変感心したことがあります。しかし、それをそのまま漫画にしても面白くない。そこで、それを社内運動会のかけっこの場面に移すわけです。
その場面の主人公が他の走者と並んでヨーイ、ドンの場面が起承転結の起、皆が一生懸命走っているのが承、主人公が貴賓席に上司を見つけるのが転、彼がコー スを外れてその上司のタバコに火をつけて、何事もなくコースに戻っていくのが結になるわけです。」 ─「漫画家になられたきっかけは?」「会社員時代に漫
画を書き始めて、かなり売れっ子になっていました。しかし、専業の漫画家になるには勇気がいるわけです。そのとき、チャップリンの「ライムライト」を見 て、老いた喜劇男優のチャップリンが、足を痛めて希望をなくしたバレリーナを励ます言葉、「人生に必要なのは、希望(imagination)と勇気(courage)と少しのお金(a little dough) だ」に触れて、サラリーマンの定収入を捨てて専業の漫画家になる決心がつきました。」 ─「今連載をされていたとしたら、読者に伝えたいメッセージは?」
「バブル経済が崩壊して少しはましになりましたが、それでも、今の日本人は贅沢をする事を考えすぎではないでしょうか。おなかが一杯になるほど食べて、そ の上、何が必要なのか。人生で本当に大切なのは、何なのか、今一度、立ち止まってよく考えてほしいと思います。」 質 問に対して、適切に、そして具体的に、大きく話を膨らませてお話しされる先生の話術に、参加者全員がどんどん引き込まれていきました。漫画の話に始まり、
人生論にまで話題は広がりを見せる中、あっという間の1時間が過ぎました。その後も、お疲れの中、記念撮影に続き、参加者のサインのお願いにもいやな顔一 つせず応じて下さりました。すばらしいお話に加え、サインまで頂いて、参加者の皆様は、知らず知らずのうちに、三太郎のようなニコニコ顔になっていたと思
います。 (文責:筒井)
|
|
サトウ
サンペイ 先生 プロフィール
1929 年、大阪生まれ。府立生野中学(現・生野高校)を経て、50年、京都工業専門学校染色科(現・京都工芸繊維大)を卒業、大丸に入社する。57年、大丸を退
社し漫画家となる。61年に東京へ転居、65年より朝日新聞に四コマ漫画「フジ三太郎」を連載、二十七年半の長期連載をつとめる。また、週刊朝日には「夕 日くん」を連載。1966年に文藝春秋漫画賞、91年には都民文化栄誉賞を受賞。’98年紫綬褒章受章。連載終了 後は、漫画入りのエッセイを次々に刊行。テーマは、旅行から、パソコン、健康・医療、さらに、信仰と、広範囲に及ぶ。『スマートな日本人』(新潮社)、
『ドタンバの神頼み』(朝日新聞社)、『ドタンバのマナー』(新潮文庫)、など。最新刊は『人生いつも初体験』(文藝春秋社)、『新・パソコンの「パ」の 字から』(朝日新聞社)。 |
|
朝日新聞(2003年11月4日)より
|
|
|
| SEO | 仕事 花 | 掲示板 レンタルサーバー プロフ SEO | |